【開催報告】日蓮宗埼玉青年会主催 ★青年僧のためのグリーフケア連続講座 第2講レポート

こんにちは。埼玉県日蓮宗青年会会員の細江健太と申します。日頃は埼玉県川口市の本覚寺に勤めております。

今回は私が講座のレポートを担当させていただきます。

令和5年7月31日、第一回「第1講 グリーフの基礎1 〜失うことから生まれるもの」に続き、第二回の講座が開催されました。会場は川口市妙仙寺の仙太郎会館。当日の司会進行は、てるみん(尾角光美さん)、ごっちゃん(五藤広海さん)。参加者は青年会員6名、寺庭婦人1名、新規の講座受講者1名、サポートスタッフ3名の計11名でした。お盆が近いこともあり、各寺院準備等忙しい時期で、参加者が少なくはなってしまいましたが、前回に引き続き活気ある講座を実施することができました。

講座を始めるにあたり、まず実施したのが「チェックイン」。第1回の講座とは異なり、縦軸横軸の表にて、自分の心身のコンディションがどの辺に位置しているかを共有しました。月に1回程度の講座開催のため、再開するのは1カ月ぶりとなりますが、この「チェックイン」により、お互いの調子や、気分などが分かり、スムーズに講座を始めることができました。

 

その後は、4つのグループに分かれ、本日の学びの目的「グリーフの多様性とプロセス」について、説明がありました。しかし、そこはさすが「グリーフ」。説明を聞いているだけではなかなか頭に入ってきません…。

そんな中、さっそくグループワークに入ります。グループワークのテーマは、「イロイロな感情ワーク」。

まず、各々が思いつく感情を「言葉や音」で表現します。そして、その中でごっちゃんが選出した4つの感情、「ぽかーん」・「怒り」・「さみしさ」・「ありがとう」を、各々「色と形」で表現しました。

正直、ワークを始めたときには思い描く感情のイメージは、みんな似たり寄ったりなのではないか。同じような色使いで、同じような形をイメージするのではないかと思っていました。

しかし、みんなの思い描く感情のイメージを見たときには、びっくり。色使いも形も大きさもそれぞれ。十人十色でした。そして、書いた方のイメージなどを共有していただき、深堀りしていく中で、「あ、確かにそんなイメージもあるな」「そういう捉え方をしたのか」などと、納得させられるものばかりでした。改めて自分自身の思考の幅の狭さに落胆しました。

このワークを通して、てるみんが伝えたかった事、それは、「グリーフとは、ひとりひとり違っている」。似たような感情であったとしても、「まったく同じグリーフはない」、「たとえ同じ境遇であっても、兄弟や双子であっても、そのグリーフは異なるのだ。」ということでした。

ワークを通して私が感じたこと、それはまさにこの結論に通ずるものでした。

だからこそ、グリーフを抱える人に対して、「こちらの気持ちを押し付けてはいけないし、分かったようなふりをしてはいけない。」ということを改めて理解できたワークとなりました。

 

次に、「グリーフのプロセス」について、説明がありました。

グリーフは人それぞれであり、人によっては、喪失をする前からグリーフが生まれ(予期悲嘆)、そして喪失から時間が経ってもなお、なんどもなんども繰り返されることがある。ということです。

時間が経てば楽になるという考えの甘さを改めて実感しました。私自身は喪失を経験し、その喪失から時間が経つにつれて、悲しみを手放し、気持ちは楽になっていきました。そして、喪失した経験、感情が今では私の心の支えになっています。しかし、それはあくまで私の経験であり、他の人には必ずしも当てはまらないことなんだと実感することができました。そして、グリーフは「乗り越えるもの」・「時がたてば楽になるもの」と言われることもあるけれど、そうではないと理解することができました。

 

また、「記念日反応」というものを知りました。記念日を迎えたときや、辛い時期にみた桜が起因となって、グリーフが繰り返されるなど、時間が経ってもなお、ずっと悩み続けている人はいるということです。時間が経つことによって、「解決する・終わりが来る」グリーフもあるけれど、節目ごとに思い出と共に現れ、これからも共に生きていくグリーフもあるということが理解できました。

 

そして、そんなグリーフを抱える方々に対して、私たちはどういった心持ちで接するべきなのかということをファシリテーターの皆様の経験を通して、教えていただくことができました。また、グリーフを手放すための「喪失と回復の二重過程モデル」があるということを学びました。

グリーフからを手放していくプロセスにおいて、喪失志向と回復志向の両方が大切であり、どちらかにかたよるのではなく、時間と共にどちらにも揺らぎ、そして少しずつグリーフを手放していくことがもっとも早い回復につながる。だからこそ、お寺としてはグリーフを抱えている方に対して、喪失志向の方に対しては、回復志向へと、回復志向で頑張りすぎている人には、喪失志向へと導いてあげることによって、グリーフからの回復につながるということを理解することができました。周りにグリーフを抱えている人がいれば、少しでもちからになれるよう実践していきたいと感じました。

 

次にお互い見つめ合うワークを行いました。何も話したりせず、とにかくひたすら相手の目を見つめ、その時の自分自身に起こった感情の変化を共有しました。

私自身も見つめ合い始めたときは、とにかく恥ずかしく、何度も目をそらしたい気持ちになりました。しかし、だんだん慣れてくると、目の前の人の事をいろいろと考えるようになりました。相手の人生や家族構成、どんなことを考えているのかなど、その人の事をもっと知りたくなるような感覚になりました。

その後、他の方の意見を共有していただいているときに、すごく素敵だなと思った言葉がありました。

それは、ただ目を見つめ合うだけで、「心が一体になる」という感覚があったということでした。「目を見て話すことは大切なことである」ということは理解していましたが、なぜ大切なのかということまでは理解していませんでした。しかしこのワークを通じて、目を見て話すことが、相手を思いやることに繋がり、一人じゃないんだよ、あなたの心を本当に理解しようとしているんだよという気持ちにさせるからこそ、目を見て話すことが大事なんだなと理解することができました。

「Not Doing , But Being」何をするかよりも、まずともにある。答えを出す事よりも、まず一緒にいてあげることが大切であるということが理解できました。

 

次に、以下3つのグループに分かれ、「死の違いによるグリーフサポートの仕方を知る」ワークを行いました。各々の状況に応じて、「抱える困難・課題」を整理し、その「課題に対する必要なケアサポート」を提案しました。

1. 病気で亡くした人

2. 自殺で亡くした人

3. 親を亡くした子供

たくさんの方の最後を見届ける私たちがもっとも、日頃から行わければならないことを改めて認識するワークとなりました。一般的に考えられるサポートに加え、日蓮宗だからこそできるサポートや、葬儀を終えた後の継続的なサポートなど、いろいろと考えさせられるワークとなりました。

また、人生の形や亡くなり方などが多種多様であるため、そのご家族に合った適切なサポートを考えるきっかけとすることができました。

そして、最後の「チェックアウト」を迎えることとなりました。最初に行った「チェックアウト」と同様の形式で行いましたが、本日の講座を通し、前向きにがんばりたいと思っている方が多く、最初の「チェックアウト」に比べて、比較的心の調子が良くなっているが多い印象となりました。

第二回の講座も大変充実しており、学ぶことがたくさんありました。私自身、「これだけ多種多様な人がいて、そのご家族一人一人にあった適切なサポートが浅学菲才の私にもできるのか」と、少しこれからへの不安を感じましたが、まずできることを一つ一つ学んで経験していき、一人でも多くの人と共に生きる僧侶となれるよう、頑張っていきたいと感じております。

第三回の講座に向けてホームワークもありますので、今回の講座をしっかり復習し、また次回に向けて頑張っていきたいと思います。第三回の講座もみなさんよろしくお願いいたします!!